すみだ建築びと 2022

この地で起こったこと

No.14 2022年8月

鈴木文雄

もうすぐ9月1日、震災記念日である。ここで99年前に何が起こったかをここで育った者はよく知っている。私が卒業した墨田区立二葉小学校は、最も児童の被害数が多かったこともあり、周年行事ではこのことについて繰り返し話を聞かされる。そのせいもあり、この日はなんとなく自粛ムードが自身の中に漂ってしまう。これは大人になっても変わらない。

横網町公園内の慰霊堂と震災記念館に保存されている資料の調査をしていた民俗学の高野宏康先生が、ぜひ読んで欲しいと以下の作文をテキストでくれた。当時の二葉小学校の教師が書いた作文である。何が起こったかや惨状の直接的な表現はいっさいなく、抒情的な表現で綴った秀逸な文章である。99年前の当事者の想いに触れていただきたい。

◎教え子の死を悼む 山田忠雄

(前半)九月一日は終生忘れる事の出来ない恐ろしくも悲しい日であった。日頃親しんでいた多くの同僚と、よくなついてくれた幾百の教え子は、あの恐ろしい火に包まれて再び見る事のできない不帰の客となってしまった。ちょうどあの日であった。1600の児童が長い夏休みから帰ってきて、しばらく別れていた教師や友達にうれしそうに挨拶したのは。その日の子ども等の顔は健康のよろこびに輝いていた。そして海水浴の楽しかったこと、山登りの面白かったこと、お家で働いたことなども語り合っていた。始業式が始まって、校長からいつものように級長の任命や二学期の覚悟やらについての注意があった。あとで私は受持の子どもを教室に集めて打ち解けて、夏休中の子ども等の経験談を聞いた。授業がないのでやがて多くの生徒は帰った。掃除当番の生徒は、明日からお稽古が始まるからうんと綺麗にしようといじらしいほど働いて帰った。いまになって思うとその話をした生徒も、級長になって喜んでいた生徒も掃除をやった生徒も多くは死んでしまってこの世にいない。

 私の受持は三年生の二組であった。三年生は五組に分かれていて、主任の山口君をはじめ、田野君、忍さん、宮川さんの五人で担当していた。その山口君と田野君は御真影を奉護して尊い最期を遂げられたし、宮川さんはあの日学校を出た後、猛火に追われて被服廠跡に果敢ない最期を遂げられた。忍さんは事情あって震災後退職されたので、私はさびしい独りぼっちになってしまった。(中略)

(後半)長い休暇の後に元気になってやってくる子ども等の顔を見ることは本当にうれしいことであった。九月一日の学期始めには皆黒くなった、そして元気のいい顔をそろえた。私はそれを見て来たるべき二学期の活動が想われてならなかった。私は一人一人の顔を見回した。私ははち切れそうなその元気にどんなに力強く感じたことであろう。子ども等は明日から始まる授業の時間割などを写しとった後で家に帰った。帰ると間もなくあの難にあったのだ。子ども等の多くは被服廠跡に逃れた。空しく数万の生霊を残した呪わしいその場所も、その時までは子ども等にとっては楽園であったのだ。子ども等はいつも学校から帰るとそこへ行ってはマリ投げをやったり、鬼ごっこをやったり思う存分駆け回って遊ぶのであった。時々は他校との競技なども行われた。彼等の綴方には被服廠の愉快なことの書かれていないことがなかった。それほど彼等にとっては親しみ深い所であったからそこに避難するのは無理のないことではあるが、それだけ二葉の生徒は東京の学校の中で一番たくさん失われた訳である。


 子ども等の多くはそこで死んだのである。彼等はどんなに苦しんだことであったろう。どんなに生きたいともがいたことであろう。しかし、それはかよわい子どもの力にはどうすることもできないことであった。彼等の死骸は同じ運命に斃れた無数の屍の中に空しく横たえられた。無垢な彼等の肉体は唯一片の白骨となり、蕾の魂は天に帰った。彼等の姿は永久にこの世で見ることができなくなったのである。

 私はその後、月の冴えた宿直の晩などに、被服廠跡から響いてくる供養の鐘や太鼓の音に幾度追憶の涙をそそられたことであったろう。多くの同僚と幾多の愛児を失って、辛くも生き残った私は、これも同じく、多くの先生と友達に別れて不思議にも助かったわずかばかりの生徒とともに、静かに亡き御魂の冥福をひたすらに祈っているのである。

有限会社 鈴木設計一級建築士事務所
鈴木文雄
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TEL:03-3623-1202/FAX:03-3622-6306
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私のひととき

No.13 2022年5月

赤坂憲一

皆さんは山岳渓流つりをされたことがあるであろうか。私は20歳台前半からよく出かけている。今は仕事が忙しくなかなか行く時間と気力が沸かないが、ぜひ行ってみたいと常に思っている。狙いはイワナ・ヤマメ(アマゴ)である。私が始めた当初はさほど渓流人口も少なく、渓流つりをしていること自体、周りからすると珍しい存在でもあったかと思う。

 渓流つりといっても山岳渓流と言って、つなぎを着て足はフェルト付きの靴を履き岩で滑らないような装備をして渓流に入るのである。イワナなどは臆病な生き物で、川に人が入ると半日は釣りにならないと言われるほど警戒心が強い。彼らは前はよく見えるのだが後を見ることが実に難しいようである。そこで我々人間様は渓流を釣り上っていくのである。

 登山とは違い、森林限界など高地ではないが、そこそこの標高であり、森も深く青い。釣りをしながら、森と一体となる。春先の解禁日(禁漁時期9月末から翌年3月末頃まで)では、ふきのとうや新芽の山菜との出会い。初夏には油蝉の鳴き声から始まり、次第に蜩(ひぐらし)へと移り変わっていく。それぞれの季節でこれがまた実に心地よいのである。

 私は親父とよく行っていたのであるが、最初釣りにはあまり興味もなく、ドライブが楽しみで行っていたような気がする。そんな風に何回か行くうちに、群馬県の確か利根川水系の矢木沢ダム(アーチ型ダム)のさらに下流域の奈良又ダム(重力式ダム)のすぐ下に大きな淵がある。

そこに私のダイワの琥珀抜き(10万円以上する渓流竿)を入れてみる。最初は流れが速いので感覚が分からずいたが、やがて重い手ごたえが・・、ヤバイ根掛かりだ。幾度か根掛かりを経て、ある瞬間、ものすごい重い引きを感じ取った。また根掛かりかと思い竿を引張ってみたが、なんだか様子がおかしい。すると体制を変え琥珀抜きをアーチにしてみる。まさに釣りキチ三ぺいスタイル。すると、ぐぐーーぐーー、淵に吸い込まれそうになる。そこから30分格闘が始まったのである。

-中略- 

ヤマメ、いや、サクラマス寸前の大きな尺ヤマメであった。それからは虜ですね。

 今は放流やなんやらで、純潔なイワナ・ヤマメも少なくなりましたが、やはりイワナの魚体は実に美しいし、美味でもある。また骨は骨酒で楽しむ・・・。

さーどうですかー。皆さんも渓流つり、始めたくなったでしょう。水は奇麗だし魚体も美しい。まさに自然界の美の極みですね。始めたい方は私までご一報を。これを読んで戴いた一般の皆さん、まずは支部入会から始めてはいかがでしょうか。

赤坂建築設計事務所〒136-0073 
江東区北砂5-20-7-1120
TEL:03-6666-8680/FAX:03-6666-8680
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氏神様とお祭り

No.12 2022年2月

中平 守

令和2年の年明けからコロナ禍が叫ばれて早2年。今年に入っても感染拡大は止まらずに第6波が起こり、まさに未曽有の災難となっています。

墨田区の向島に住んで30年程になりますが、転居当時から思っていることは、この町には下町ならではの程好いつながりが感じられることです。町会行事での家族参加のハイキング、バーベキューをはじめお祭りに誘って頂くなど、今では町会、お祭りの睦会の役員を務めさせて戴くまでになりました。

建物の新築の際に、地鎮祭と上棟祭を行う古くからの仕来りがあります。地鎮祭は建設地の土地の守護神を祀り、土地を利用させて頂くことの許しを請い、そして上棟祭は、無事に棟が上がり、竣工後の安全を祈る神事、と言われています。我が家も、新築時に古くからの儀式に則り、地鎮祭と上棟祭を執り行いました。

氏神様の牛嶋神社は、全国でも珍しい社殿前の三輪鳥居があるのですが、平成30年10月の台風24号の強風で、倒壊してしまいました。再建には、氏子約50町会(墨田区の南半分・本所地域)とご厚志の方から奉賛の篤志を得て、新年号となった令和元年五月に新しい檜造りの鳥居が完成し、竣工祭が執り行われました。鳥居の再建工事は、地元の業者が施工を担当されました。

牛嶋神社は、本所総鎮守様して祀られた格式高い神社であり、北斎が奉納したと伝わる絵馬「須佐之男命厄神退治之図」の複写パネル(実物は関東大震災で焼失)を収蔵しており、これを元に復元した作品は、「すみだ北斎美術館」に常設展示されております。

 コロナ禍の影響で一昨年は祭礼の全てが中止となり、また昨年は状況を勘案し簡略化する方向で神酒所の設営のみを行い、お祓いを受けた町会が多かったようです。今年は5年に1度の大祭の年にあたります。

前回平成29年大祭の時に挙行されました鳳輦神幸祭は、2日間に渡り、各町会を黒牛(神牛)が鳳輦を曳き、手古舞、稚児行列と古式豊かな行列が町内を巡行しました。次の日の大神輿連合宮入には氏子各町会から51基の大神輿が集結し、牛嶋神社へ渡御宮入致しました。その日は冷たい小雨が降ってはいましたが、最後の大神輿が宮入の頃にもなると日も落ち、東京スカイツリ-のネオンと共に、大神輿の姿が映える、素晴しい景色だったとお聞きしました。

未だ出口の見えない中、何れ収まるであろうコロナ禍の終息を期待し、晴れて鳳輦神幸祭が開催出来ることを願っております。

冨士建築設計 一級建築士事務所
〒131-0033 墨田区向島5-41-11
TEL:03-3621-5915/FAX:03-3621-5915
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