- No.11 2021年9月 仕事と趣味 鳴海義一
- No.10 2021年7月 向島の道を語る 和田栄治
- No.09 2021年6月 コロナ禍において近頃思う事 都祭芳明
- No.08 2021年5月 野遊考 大谷浩一郎
- No.07 2021年3月 地球の声 笠貫曻
- No.06 2021年1月 一枚のスケッチ画 笠井孝
仕事と趣味
No.11 2021年9月
鳴海義一
私も、古希にあと数年にせまってきて、ふと今までの人生について考える事が多くなりました。
建築設計を志し、この道に進んで四十数年になりました。紆余曲折ありましたが何とか現在に至っておりますのは、人との出会いがあってこそ続けられてこられたのだと思っております。
第一歩は、建築士合格と同時に以前勤めていた社長より、建築予定の施主を紹介され、初めて自身の名前で設計、監理をしたのが、墨田区内の、鉄骨造、4階、共同住宅でした。その当時は、近隣の方々より、色々な問題を提議されましたが何とか円満に納まり、無事施主に引渡すことが出来たことが喜びと自信になりました。
仕事を通して多種多様な業種のオーナ-、業界の諸先輩、協力業者の方々と知り合いになり、公私共に大変面倒を見ていただいたおかげで、現在があり大変感謝しております。
趣味は、若い時は、夏は海水浴、釣り、冬はスキ-でしたが、現在は海水浴にはいかず、釣りは体力の限界を感じて海には出ていませんが、年に1~2回は、志賀高原にスキーには行っております。
もっぱら現在はゴルフです。マイコースのクラブハンデを取得してからせっかくハンデがあるのなら、憧れのシングルプレ-ヤ-(10以下)になることを目標にいたしました。月例競技会、各種の競技会に参加をし6年前にシングルプレ-ヤ-の仲間入りする事が出来ました。「目標は達成」は致しました。しかし先には片手シングルの道があります。(5以下)、これは残念ながら達成できないと思っております(後5年若ければ)。
理事長杯競技での事ですが、予選で調子がよく予選を通過し1、2回戦、準決勝とショット、パットの調子が良く運よく決勝に進むことが出来ました。予選から決勝までは、歩きでのラウンドが4週間かかります(毎週日曜日)。決勝は、朝より7時半よりスタートして、36ホールのマッチプレ-(1:1)です。競技ルール説明後、テイショットで緊張して手が震えてボールがティーの上に乗らず何回もやり直しました。これが最初で最後のもっとも緊張したティーショットの思い出です。午前中の18ホ-ル 1U.Pで午後の18ホール折り返し、途中で勝てるかもしれないと思った瞬間からショットが曲がり、パターが乱れだし、結局は34ホール目、2ホ-ル残し敗北しました。これが今までのゴルフプレ-での一番の思い出となっております。
仕事は程々にし、ゴルフは80歳まで出来る様に、歩く事、運動を続ける事をモット-に健康に留意して(お酒はいただきますよ)、楽しい人生を送れるように願っております。最後に、支部の皆様には大変お世話になっております。これからもよろしくお願い致します。
(有)鳴海建築設計事務所
鳴海義一
〒130-0026 墨田区両国3-21-8 MKビル3階
03-5600-5815/03-5600-5873/y-narumi@nifty.com
向島の道を語る
No.10 2021年7月
和田栄治
いまから3年前の令和元年8月に、本所・向島支部が合併して東京都建築士事務所協会墨田支部が設立された50周年記念の催しが盛大に挙行されました。
皆さんご存知のように旧本所区と旧向島区が合併して、墨田区として誕生したのですが、わが墨田区は、南部、北部、の景観について、次のように表現されることがあります。『南部(本所区)は直線の街,北部(向島区)は、曲線の街』と‼
両地区とも,それぞれの歴史によって、特色ある街並みが形造られました。南部は計画的(人工的)に、北部はあるがまま(自然)に形成された地域で、北部(向島)の道はどう見ても、明治以降に当時の曲がりくねった畦道をそのまま残しつつ、田畑の中に住居・工場・学校などが建てられていったと考えてもおかしくないですよね!
わたくしが70+数年間住み続けている、愛着ある曲線の街の道(向島の道)について語ってみたいと思います。
この地区には旧地名に「大畑」と呼ばれた地域がありますが、その地名からも想像できるようにこの地域は、田畑・畦道・水路(小川)が広がる長閑な田園地帯であったことは間違いのないことでしょう。
この地域は、隅田川を境にして西側から島状の洲が陸地化した土地で、謡曲「隅田川」の梅若丸伝説の時代背景となった平安時代より農業が営まれ続けられた地域なのです。近年復活した寺島村の江戸野菜「寺島ナス」が知られていますね。古より、人々によって踏み固められた、曲がりくねった道からは、長い間、人々の営みを支え続けてきた力強さ、確かさを感じ取ることができるのではないでしょうか。
わたくしが散歩するときに、時たま楽しんでることですが、道が入り組んで繋がっているので、思い付きで、いつもと違う角を曲がり、気分転換を図りながら、目指すべき同じ場所に行くことです、曲線の街ならではないかと考える次第です。また、近年、京成押上線の立体高架化事業の完成に伴い、側道として新しい道が造られました。
それから、もう一つの道として【鉄の道】、鉄道について語らせてください。
ここに1枚の地図があります。
マーカーされている道に注目してください。この道は、昭和3年~11年まで存続していた向島駅(京成曳舟・八広駅の中間にあつた)~長浦~玉ノ井~白髭駅 1.4キロの京成白髭線の跡です。
明治以降、向島地区は鉄道網が大変に発展している地域でもありました。東武鉄道が明治35年に千住~吾妻橋間(現スカイツリー駅)6.3キロを延伸開業(伊勢崎線)、2年後には総武鉄道両国駅まで開通しました。(東武亀戸線)
それに伴い曳舟~吾妻橋間は廃線になりました。しかし、明治41年に再び敷設され昭和6年に浅草まで延伸され現在にいたってます.。その後、もう一つの鉄の道、現京成電鉄が大正元年に押上~市川(現江戸川駅)間を開業したことにより、向島地区を縦に貫く鉄道網が形造られることになりました。
先にも述べましたが、昔から鉄道の利便性に恵まれていた地域なのです。しかしながら、残念なことに地下鉄線はゼロです。半蔵門線を延伸する計画(押上~松戸方面)があるらしいのですが、「いつになることやら!」です。
『曳舟~吾妻橋間の廃線、すぐの再敷設。その訳⁇』については、またの機会に⁉
終わります。
一級建築士事務所 エイワ企画
和田栄治
〒131-0041墨田区八広4-11-19
03-6661-8310/03-3612-2467/eiji.wada@mbp.nifty.com
コロナ禍において近頃思う事
No.09 2021年6月
都祭芳明
私は今、73歳と5か月になります。
昨年の72歳のお誕生日のころからクルーズ船での新型ウイルス感染患者が、発生してこのコロナ過が始まりました。不気味な気持ちでいた事を思い出します。
丁度、年のせいか体力の衰えを感じる様になって、のんびり仕事をしようと考えていましたが、役所の仕事は中断になり、少しまとまった仕事はトップが亡くなったりして先送りになり、自分の体力、気力の衰えが仕事にも通じるのかと思ったりして2020年が終わり、2021年が始まりましたが、早半年です。日の過ぎるのが早い事早い事、追いつきません。
先日、第2回目のワクチン接種が終わり少しはのびのび過ごせるのかなと思ったりしましたが、変位種が流行って来ていて、外出も会食もままならないと云う、余りストレスを感じない方だと思っていたがそうでもない様です。
皆さんはどう過ごしていますか。学生時代からの友達と年に盆、暮れの2回ほど食事をして旧交を温めたりしていましたがそれも出来ず、もっとつらいのは友人、先輩が亡くなったのを家族葬で済ませましたと云う通知で知る事です。今までの人付き合いが出来ない、なんだか落ち着きません。
事務所協会墨田支部の役員会の後の食事会が懐かしいですね、他愛もない事ですが大事な時間ですよね。ZOOMの役員会では人の温もりをあまり感じませんね。
古い時代の人間になって来ちゃったのかな、ZOOMの会議とか在宅でテレワークとか、コロナ禍の仕事のしかたについてもいろいろと話題になっていますが、人の温もりの感じ方と云うのは世代において違っているのでしょうか。
事務所協会も我が事務所も世代交代の時期に来ています。我が事務所で云うとやはり黒字化してからバトンタッチを目論んでいますが、このコロナ禍で少しつまずいています。
すみだまちづくり協会は黒字になっているので次回の役員改選では次世代に役員交代をお願いしたいと思ってまいす。でも、役員会の後の呑み会には参加したいですね。果たしてかみさんが許しくれるかは疑問ですが。。。
(株)都祭建築設計事務所
都祭芳明
〒130-0005 墨田区東駒形2-3-13
TEL:03-3621-4661
MAIL:yoshitomo@tomatsurisekkei.jp
野遊考
No.08 2021年5月
大谷浩一郎
子供たちがまだ幼かった頃、家族でよくキャンプに行ってました。長野の牧場や福島桧原湖の舟でしか行けないキャンプ場などが記憶に残っています。
牧場のキャンプ場でのこと。朝、耳元でボフッボフッという低い音がして目を覚まします。何事かと思いテントの外に出てみると、なんと我々のテントは数頭の大きな牛たちに囲まれ、彼らは牧草の朝食を食べていたのです。
そんな日常では味わえないことを楽しんでましたが、ここ12〜13年ほどは仕事も忙しく、子供たちの学校行事やクラブ活動などで都合が合わなくなり、しばらく行けずにおりました。
令和に入り、ある時動画サイトで焚火の炎を延々流しているだけの動画を発見します。炎と時々爆ぜる音だけです。これがなんとも時間を忘れ、炎というのは画面越しでもこれだけゆったりした気分にさせるのだと改めて思いました。
これを機に、また自然の中に身を置きたくなり、ちょこちょこと一人で出かけてます。日常から少し距離を置き、林の中で鳥の声に耳を傾け、圧倒的な富士山に度肝を抜かれ、揺蕩う湖面を眺めたりしながら、簡単な料理を作り、炎を肴に酒を飲んだりしてます。
このような「野遊び」という、ささやかですが人と自然との関わりから、やはり人は自然の一部であり、自然に触れ、戯れることが「自然」なことであり必要なのだと改めて感じるようになりました。世の中はますます情報化が進み、AIが発達し一見便利な社会になっていくのだと思いますが、人間らしい豊かな社会に向かっているのかというとそうは言い切れそうもありません。
そしてコロナによって社会は一変しました。地球も悲鳴をあげています。持続可能な方法を確立しないと持ちそうもありません。
人の内面から地球環境まで俯瞰的・横断的に観自在に目が届く存在が我々建築家だと思っています。人が人らしく生ききる豊かな場を創出するため、これからも建築を通して与えられた命を全うしていきたいと思います。
(有)クエストワークス一級建築士事務所 大谷浩一郎
〒131-0033 墨田区向島5-29-9
TEL:03-6751-9400
MAIL:info@questworks.co.jp
地球の声
No.07 2021年3月
笠貫曻
地球が誕生して約46億年経ちました。地球は今だ生きている惑星で、火山や地震が起きています。今回は「地球の声」と題して、皆さんと一緒に地球の中心への旅に行ってみたいと思います。
地球の半径は約6,400km位ありますが、まず、プレ-ト同志のぶつかっている境目からいざ行ってみたいと思います。スレ-トの下には、マントル(岩石)が約2,800km位あります。内部は眩しく、輝いて います。眩しさを取り除くと、きれいな緑色の世界です。輝いていたのは緑色の宝石ペリドット(かんらん石)8月の誕生石です。その中にもガーネット・ダイヤモンドなどの宝石の世界が広がっています。
もう少し深く、約450km位は緑色から暗い色に変化してきます。約550km位になると青色の世界に変わってきます。なぜでしょうか、地球の内部には圧力が加わり変化したのです。
さらに下のマントルへ。約2,000km位あります。温度変化するところがあります。約800km位のところに、巨大なかたまりがあります。温度の高い魂があり又温度の低い塊があります。マントルの底に約2,800km位のところでは、巨大な塊が移動していいます。そして温度の低い塊をスラブといいます。
温度の高い塊をプル-ムといいます。温度の低いスラブはマントルの底へ、温度の高いプルームは上昇します。それが対流となりマントルが移動しているのです。マントルの上に載っているプレートが1年間に約10cm位移動しています。それが時とともに地震としてあらわれます。
地球の核へ約5,000km位を超えたら白銀の世界です。中心部分は鉄の塊でできています。内核の温度は6,000度位の高温です。外郭は鉄の流体が移動し、それが地球の磁場です。地球の磁場は逆転することがあります。地球の流体は、火山活動など地球の温度を下げているのです。
地球は今も活動し、地震を起こしてプレートの上で生活しているものは、恐怖を感じていますが、地球は、温度を一生懸命冷やそうとしています。
私たちは、安全な街・安全な家など耐震を含め様々な方法で強い社会構造を作ることが大事なことです。このことを子供たちにも教え、家族で話し合ってください。以上途轍もない話でした。
笠貫一級建築士設計事務所
笠貫昇
〒131-0032 墨田区東向島2-19-17
TEL:03-3612-3690
MAIL:todonoboru@jcom.home.ne.jp
一枚のスケッチ画
No.06 2021年1月
笠井孝
新年あけましておめでとうございます。
2021年が明けて間もなく二度目の緊急事態宣言が発令されました。早いもので事務所協会の全国大会(福島大会)から1年数ケ月が過ぎ、昨年の福井大会は中止となり大変残念に思っています。このコロナ禍で様々なところに影響が及びました。
些細な事ですが、私個人も最初の緊急事態宣言が発令されて以来、公共交通機関を避けて自転車通勤をして10ケ月が過ぎようとしています。
ある日の事、いつものように自転車通勤で自宅から事務所までの約10kmの丁度中間地点で墨田区の菊川付近の橋を通り掛った時に橋の銘板の文字が目に入りました。「菊川橋」あっ!そう~だ!そう~だ!福島大会だ!とすぐに思い出しました。
それは2019年10月4日、福島大会初日の午前中に県立福島美術館を見学した後の昼食までの待ち時間を利用して関根正二展(生誕120年・没後100年)という企画展が開催されていたので一人で入り急ぎ早に観ました。知らない画家でしたが、迫力のある絵の中に何でもないような一枚のスケッチ画が有り、通り過ぎようとした時にタイトルを見ておやっ!と思い立ち止まって説明文を読んでみました。
すると「菊川橋」というタイトルでなんと墨田区の菊川橋を描いたものでした。1916年作の大きさは37.0㎝×57.0㎝で100年前の菊川辺りはこんな感じだったのかなーと思い、東京に帰ったらすぐにでも見に行こうと企画展を後にしました。
ところがそんな事はすっかり忘れてしまっていて一年近く経った昨年の10月頃の通勤途中に例の銘板を見て思い出しました。
あのスケッチ画はどこから見て描いたものなのか、今度時間の余裕のある時に確かめて見ようと思い、後日いつもより少し早めに自宅を出て菊川橋の上流側の菊柳橋と下流側の猿江橋の両方から眺めてスケッチ画と見比べてみましたが、どちらも当時の面影など感じられず結局分かりませんでした。
そこで関根画家についてググってみると、1899年福島県西白川郡大沼村(現白河市)に生まれ1908年に上京深川に住み小学生の頃、関根少年は同級生の美人画の巨匠、伊東深水とよく小名木川で遊んでいたらしいと有ったので、これはきっと小名木川の方から見た(菊川橋)だと勝手に決めつけて当時は存在しない今の猿江橋の上から現在の菊川橋の写真を撮ってきました。
関根少年は伊東深水と小名木川で遊んでいた頃、100年後スカイツリーがそびえ、道路が宙に浮いた(高速7号小松川線)今の菊川橋を想像出来たのかと思います。
そこで私も2121年の墨田支部会員ブログ「すみだ建築びと」に寄稿してくれるでしょう後輩の菊川橋の写真を期待し、更なる支部の隆盛と今年の熊本大会が無事に開催される事を祈りつつ、100年後の菊川橋を想像して瞑想にふけります。
川下設計笠井一級建築士事務所
笠井孝
〒131-0032 墨田区東向島2-42-6
TEL:03-3611-2433
MAIL:kawashita@waltz.ocn.ne.jp